客観的に物事を見る、ということ

e0007451_1627327.jpg友チョコつくりに夢中になって、朝昼抜いて1回目の食事が16時・・・

型抜きクッキーやチョコを溶かして固めるのは簡単ですが、ペンチョコで表情を書き加えていきながらつくづく自分には向いていない作業だと実感

疲労困憊です


今日自分のことについて気づいたことがありました。





「イヤなことなんて、なるべく早く忘れたい」
そう、誰でもなるべく早く忘れたいし、できれば無かったことにしたい。
でも、実はこの“無かったことにしたい”がクセモノ。

ひとは自分の身に起きたことを、実際よりも軽く見ようとする傾向がありますから
例えば誰かからヒドイ言葉を言われたとき、
「これくらいのことでイチイチ傷ついていたら生きていけん」
とか、
「気にしない、気にしない!」
と、気持ちを切り替えて忘れようとします。

気持ちの切り替えは日常生活では必要なことです。
しかし切り替えて“忘れた”はずの感情は、無くなったわけではなく、意識しなくてもいい心の領域(無意識)に押しやっているだけ。これが抑圧・否認。



過去に経験したつらかったり悲しかったりした出来事、ちょっとしたきっかけでフラッシュバックし見も心も千切れそうに苦しい思いをすることしばしば
年月とともに苦しさや辛さが薄らいでいくならともかく、なんでだろう
もしかしたらトラウマになってるのか?

トラウマはもともと非常に衝撃的な体験をさす心の分野の専門用語ですが、最近ではもっと日常的な傷つき体験を指しますね
最近の自分の課題、なぜ心の傷を引きずってしまうのか?

キーワードは「否認」「抑圧」
無意識に押しやった感情は、強ければ強いほど、ふとした瞬間に意識にのぼってきます。
ふとした瞬間というのはほんとにいつやってくるかわからないドキドキものです。
「イヤな記憶なのに、なぜか繰り返し思い出して辛くなってしまう」⇒⇒⇒“無かったこと”“忘れたこと”にした気持ちが、「無かったことにしないで!こんなに傷ついてるのに!」と訴えるために繰り返し思い出してしまう・・・

傷つき体験を本当の意味で消化していくためには、体験したことを軽く扱わず、心が感じている本音を受け入れること。ここが自分には出来ていなかったことだと。それくらいのこと、昔のこと、気にすることではない、でも無意識の中に押し込めていたネガティブな感情が、自分ではコントロールできずにいるのが今の私。

ここで登場するのが客観的視点
ネガティブな記憶がよみがえったときに、実体験として記憶や感情をたどるのではなく、スクリーンの中の映像を見るような感覚で再体験すること。
まるで他人が体験しているような感覚で再体験し、最後に「もう終わったこと」と口にすること。

再体験の自分と現実の自分が近すぎて、客観視することが出来ずにいたのですが、そろそろそんな自分とはさよならしたい。

以上、自分のための覚書。
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by yurari-n | 2013-02-11 16:27 | 日常

ありんこの足跡より小さな日々の記録


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